どうもこんにちは!当ブログを運営しているちゃんぬーと申します。
『人生の達人 〜明らかに人生一周目のアラフォー独身男性が人生の達人を目指すお話〜』と題してブログを開設したわけなのですが、このページではそんな私の自己紹介も兼ねて、「自分って人生一周目だな〜」と思う理由と、そんな下手な生き方でも楽しく生きていく方法について、個人的な考え方やアイデアをしたためていきます。
「なんか人生って難しいな」「生きるのって大変だな」と感じている人にとって、なんらかの参考になれば嬉しいなと思います!
人生一周目だな〜と思ったエピソード
まず「自分って人生一周目だな〜」と感じたエピソードを紹介させていただければと思います。
頭を3回割った幼少期
幼少期、記憶にはないのですが頭を3回割ったことがあるそうです。
記憶に残っているものも入れると、頭3回、顎1回、唇1回、それぞれ怪我をして縫合手術をしたことがあります。
1回目は転んで神社の鳥居に頭を打ち付け、2回目は自ら車の窓ガラスに頭を打ち付け、3回めは2回目の傷が治りかけたタイミングで風呂上がりに盛大に転んだそうです。
また、幼稚園児のときには朝食を食べているときに椅子からずり落ちて、テーブルに置いてあったスプーンで顎をえぐり、小学校低学年のときは近所の犬を撫でようとしたら唇を噛まれて、その度に病院送りになっております。
うっかりミスを連発し、病院送りになった大学時代
幼少期に怪我ばかりしていた私も、運良くすくすくと健康に育ち、大学生になりました。
学生時代はアルバイトを始めて、塾講師、ガソリンスタンド、GODIVAの売り子、スキー場の食堂、ビリヤードやダーツがあるネットカフェなどで働きました。
塾講師では苦手な数学を教えるのに汗だくになり、ガソリンスタンドでは忙しすぎて走り回っては転んでお客さんに怒られ、GODIVAの販売スタッフをやったときはカード決済のレジの打ち方を一生覚えることができず、ネカフェ店員のときは指を深く切って出血多量で気絶して病院送りになりました。
というわけで、指を切って病院送りになったときの話をします。
冷凍した肉を切っていたら包丁が滑り、指を深く切りました。溢れ出す血を慌てて抑えて、近くにいた後輩スタッフに「指切っちゃったから病院行ってくるわ」と言ったら、大量の出血を見た後輩がテンパり倒して「ああ、絆創膏…絆創膏…」と絆創膏を探し出す始末。
(いや、もはやこれは絆創膏ではどうしようもないだろ…)と呆れながらその場を立ち去ろうとしたところ、視界がかすんでいき「あ、やばいやばい…」という言葉を最後に事切れました。
次に目が冷めたときは、横たわった状態で男性社員に抱き抱えられ、おしぼりで傷口を抑えられている状態でした。倒れるときに顔面を打ったようで、唇も少し切れていて鼻も痛かったです。
「今救急車呼んだから!」と言われて落ち着きを取り戻した私は、顔面蒼白のまま傷口を抑えて座っていました。そこに、救急車よりも先に、買い出しに行っていた別の社員さんが戻ってきて、顔面蒼白になった私を見た途端、膝から崩れ落ちて大爆笑していました。
救急車が来るころにはすっかり落ち着いており「本当すみません、すみません…」と繰り返しながら、歩いても5分くらいで到着する病院に連れて行ってもらいました。あれは恥ずかしかった。
後日後輩に聞いたら、キッチンが殺人現場かというくらいに血まみれで、その日は怖くて包丁を持てなかったと言っていました。いやあ、悪いことをしたなぁ。
会社員として働くことが苦痛すぎてジョブホッパーからの独立
大学を卒業して大手鉄鋼メーカーで働くことになりました。
社会に出るまでの私は「小中高大学、それぞれ楽しかったし、会社も楽しめるだろう」と甘く考えていました。結論として、一社目の会社生活を私は楽しむことができませんでした。その会社には3年ちょっと勤めましたが、この3年間は私の人生の中で最もつまらないと感じながら過ごした期間だったような気がします。
その後、飲食店を始めたり、マルチに引っかかったり、ナイトクラブでMCをやったり、フリーのデザイナーになったり、ベンチャーで新規事業を立ち上げたり、スタートアップでマーケティング担当をしたりして、現在小さなWeb制作会社を元同僚と立ち上げて、取締役として働いています。
一生懸命働きすぎて鬱を発症
会社を立ち上げた当初、借入とか資金調達を全くせずに「副業が忙しくなってきたから独立しよ!」くらいの感じで始めたため、最初は働いても働いてもお金がまったくないという状態になりました。
最初の3ヶ月くらいは1日16時間働いていたものの、納品・入金のタイミングから口座の残高がまったく増えずに、精神的に良くない状態でした。
そこから、事業が軌道に乗り出して、引き合いが増えたタイミングで、業務委託の方とお仕事をする機会が増えました。クライアントからの要求を外部の方に伝えて複数のプロジェクトを同時並行で進めていくこと。さらには、利益を出しながら事業を行うために売上とコストのバランスを把握し、バックオフィス的な業務もやらないといけない状態は非常に大変で、私はどんどん睡眠時間を失っていきました。
18〜19時間働き、2〜3時間の仮眠を取って、起きたらまた長時間働くという生活に陥ってしまったんですね。
そして、その日が訪れました。会議中に何も考えられない。何も発言ができない。業務を進めようとしても、10分で終わるような作業に1〜2時間かかってしまう。「何かがおかしい」と私は思いました。
鬱になると気分が塞いでやる気が出なくなるイメージでしたが、どちらかといいうと「脳がまったく働かなくなる」みたいな感覚でした。そのとき抱えていた業務を周りの人に無理やり引き継いで、半年くらいまったく何もしない期間を設けました。
自分が中心となって回している事業であっても、自分が抜けてもなんとかなるものですね。売上は一時的にかなり落ちましたが、致命的という程ではありませんでした。このときに「もうちょい気楽にいこうぜ」って思いましたね。
人生一周目だな〜と思う自分の傾向や性格
ここまでは私の失敗エピソードをお伝えしてきました。
「完璧な人間はいない」とはいえ「自分って人間として欠陥が多すぎるのでは?」という感覚があります。非常に生きるのが下手なんじゃないかと思っています。
ここでは、そんな自分の傾向や性格にも触れていきたいと思います。
ずっと同じことを続けることができない
職を転々としていたことからもわかるように、私は「1つのことをやり続ける」ということが非常に苦手です。すぐに飽きて他のことをやりたくなってしまう。一度やりたくないと思ったらもうできなくなってしまう。
唯一長い間続けることができたのはサッカーで、これは小1〜社会人3年目くらいまでやりました。それ以外は気の向くままに過ごしています。
「継続は力なり」と言いますが、それはまさにそうで、続けることができれば大きな力になります。このブログも続けられるといいな〜と願うばかりです。
これ以上ないくらい不注意
前述した指を切って病院送りになったときのことです。病院からの帰り道、バイト先に停めていた原付に乗って家に帰ったのですが、家に着いてヘルメットをシートに入れるときに、間違って家の鍵も閉じ込めてしまいました。季節は冬で、時間は夜の10時頃でした。
泣く泣く友人に泊めてもらえるように頼み込み、その日はことなきを得ましたが、自分の不注意さに呆れることはこれまでの人生でもたくさんあります。
ネカフェのバイトではビールジョッキをたくさん割って、社員さんから「ビールジョッキって割れるんだね」と驚かれたり、ガソリンスタンドのバイトではお客さんのガソリンの投入口のキャップを締め忘れたことも幾度かあり、レジ打ちでお釣りを間違えるのはほぼデフォルトでした。
とにかく、不注意なミスをたくさんしてしまうし、マニュアル通りに抜けもれなく正確に作業をするというのが本当に苦手なような気がします。
人に対する興味関心がたぶん薄い
よく人から相談される人っていますよね。それを見て「いいな」と羨ましく感じることもありますが、それと同時に「なぜ他人の課題に対して一生懸命考えてあれこれ口出しするのだろう?」とも同時に思います。そして、そんな私は人から相談されるようなことはほとんどありません。
また、他人、というか全人類に対して「私に迷惑をかけない範囲で好き勝手に生きてくれ」と思っているため、人に期待するということもなく、他人への関心はおそらく薄いのだと思います。
また、恋愛が下手すぎて、上達したいとも思えないようになりました。もしかすると、思ったことすらないのかもしれません。学生時代はそれなりに異性からモテて恋人もいたりしたのですが、自分からアプローチして恋人をつくるということをしたことがほとんどありません。
傷つくのが怖いというよりは、それにリソースを払うなら釣りとかしたいなと思ってしまう感じです。とりあえず、今世は結婚とかはいいかなと思っている今日この頃です。
人生一周目なりに上手に生きていきたい場合どうするか?
こんな感じで「自分って上手に生きることができていないな〜」と感じることが多いのですが、それでも「せっかくこの世に生を受けたからには、なるべく楽しい人生を送りたい」とも思っています。
人生をいかに楽しむか?
というのは生きていくうえで誰もが考える疑問なのではないでしょうか?
もしかしたら、楽しさよりも、目的や意味に重きをおいている方も多いかもしれません。確かに、目的や意味を見出して、それを実現するために日々努力を重ねるということも尊いことですよね。
一方で私は、生きることに意味を求めるとややこしくなるのではないかとも感じています。生まれたから生きる、生きるからにはなるべく楽しむ、くらいの気楽なスタンスでいてもいいのではないかと。
そんなわけで、生きやすく、楽しく人生が過ごせるようになるヒントになればと思い、私が試行錯誤を重ねた結果至った考え方をご紹介します。
生きるのが楽になる4つの考え方
三日坊主を恐れない
「継続は力なり」という言葉にも表れているように、「続けることは美徳である」となんとなく日本人なら誰もが感じているのではないかと思います。逆に言えば「中途半端で投げ出すことは恥である」ということも無意識のうちに我々の精神には刷り込まれているのではないかと思うわけです。
もちろん、一度始めたことを中途半端なところで辞めてしまうと、場合によっては人に迷惑がかかりますし、辞めるよりも続けた方がいいよねと思うことは人として当然のことのようにも感じます。
しかし、あまりにもその思い込みが強すぎると、何か新しいチャレンジをすることに対して、無意識のうちに「継続できない可能性」に対して恐怖心を抱いてしまい、結局何も始めることができないということになってしまうような気もするのです。
私は以前、Webデザイナー養成スクールの事業を立ち上げたことがあるのですが、何かに挑戦する前に必要以上の不安を感じている人があまりのも多いなという印象を受けました。なるべく失敗を避けたいというか。
もちろん、避けられる失敗をする必要はないと思うんですが、挑戦は失敗とセットです。初めてのことに挑戦すると、ほぼ必ず失敗します。「こんなはずじゃなかったんだけどな」と思う瞬間は少なからずあるはずです。
新しいことを始めるときには、気軽に始め、続けることが難しいなと感じたら気軽に諦めるくらいのスタンスでもいいのではないかと思っています。
絶対に避けるべきことは「また三日坊主で終わってしまった…自分はなんて駄目なやつなんだ」と自分を嫌いになってしまうことです。
何かを始めるという挑戦をしない限り、三日坊主という現象は絶対に起こりません。三日坊主で終わってしまっても、仮に1回やっただけで終わってしまったとしても、自分に対しては「ナイスチャレンジ!」と言えるような自己肯定感というか、自分への甘さを持っていると非常に生きやすくなります。
人からの評価を気にしない
「人の目を気にしてしまい、やりたいことができない」とか「人と比べてしまって落ち込む」みたいな方にもたくさん出会いました。
人は物心ついたときからテストの点数や成績表で評価され、社会に出てからも目標数値の達成度合いで評価されます。そう考えると、他人からの評価を気にするな、とか、人と比べるなと言っても難しいような気もします。
でも、いちいち人と比較してくよくよしたり、周りからの評価を気にしてやりたいことができないのももったいないですよね。解決方法としては以下の2つが考えられるのではないかと思います。
① 過去の自分と比較する
どうしても比較対象が欲しい場合は、過去の自分と比較することをおすすめします。数年前の自分と比較することによって、上達したことや、逆にできなくなってきたことを客観的に見つめることができるので、いちいちくよくよしなくて済みます。
「5年前と比べて、徹夜はできなくなってきたけど、数字の分析とかそれに基づいた企画の考え方の精度は上がってきたな」とか、勝手にやってればいいわけです。
②人と比べづらい生き方を選択する
私は“人と比較してしまってくよくよする”みたいな経験があまりないのですが、その理由を考えたところ「人と比べづらい人生を生きているからかもしれない」と思い至ったことがあります。
前述の通り、私は職歴がぐちゃぐちゃです。なので、比較対象として適切な人がなかなかいないません。というよりは、出会ったことがありません。
確かに、大学の同期と比較して「あいつは大手商社で海外勤務で華やかな生活をしている。一方自分は…」とか「もう周りは結婚して父親として立派にやってる。一方自分は…」とか、くよくよしようと思ったらできないこともないんですけど、「まあ、これは自分の人生であって、あいつの人生じゃないからな」と開き直り続けています。
ただ、人と比較しなくて済むようにに職務経歴を汚くするというのは悪手だろとは思いますので、この方法は別におすすめはしません。
極力くよくよ悩んだりしない
悩みを抱えている人、多いですよね。“悩む”ということ自体がある種の娯楽なのかな?と思う程度には、悩まなくていいことに悩んでいる人が多い印象を受けます。もし、あなたが娯楽として悩んでいるなら、それを止めるようなことはしませんが、いちいち悩みたくないと思っているなら、ここに処方箋を提示します。
考え方としては、悩みは“解決しようと思えばできるけど解決することのコストが高いもの”と“自分では明らかにコントロールできないもの”に分けることができそうな感じがします。
解決しようと思えばできるけど解決することのコストが高いもの
突然なんですが、私は手足が短いです。普通であれば、両手を広げたときの指先から逆の手の指先までの長さが身長と同じになるらしいのですが、私の場合は10cmちょい短いのです。そんなわけで、ジャストサイズのジャケットを着ると袖が余ってしまい不格好になります。そのため私は、必要に迫られない限りスーツやジャケットは着ません。
この“手足が平均よりも短い”という特性は、コンプレックスと捉えようと思えば捉えることもできるし「なぜ自分は手足が人よりも短いのだろうか…」とくよくよ悩むとも、やろうと思えばできなくはありまあせん。
でも、本当に自分がそれを解決したいと思っているならば、解決方法はあります。
骨延長手術という高額で苦痛な手術を受ければ、私は手足の長さを一般的なレベルに引き上げることができます。ただ「そこまでコストを払ってまで解決したいか?」と問われれば、即答で「No」です。
つまり、なんとなく嫌だなと思っていることに対して解決方法はあるものの、その解決方法を実行したくないという状態なわけです。ここまで状況を整理できれば、コストを払って解決するか、または、そのままの状態を受け入れるかの二択になります。二択を天秤にかけてどちらか一方を自分の意志で選ぶというわけです。
この場合の悩みに対しては、解決するかどうかを決断すれば、それ以降は一切悩まずに済みます。
自分では明らかにコントロールできないもの
自分で直接的にコントロールできるものは自分の思考と自分の行動だけです。起きた事実や他人の思考や行動を直接コントロールすることは基本的にはできません。
飴と鞭をうまいこと使って、操り人形のように洗脳することができればコントロールできるかもしれませんが、私はその方法を知りません。
自分でコントロールできる部分に集中していると、悩むこととは無縁でいることができます。
まあ、“悩む”という行為そのものとか“自分の悩みを誰かに相談する”ということがある種の娯楽的な作用を人にもたらしている可能性もあるので、無理して悩みを人生から取り除く必要はないかもしれませんが「もうすこし気楽に生きたい」と考えている人にとって何らかの示唆になれば幸いです。
なるべくがんばらない
「がんばる」ということは人生のあるタイミングでは非常に重要なことだと思います。しかし、なるべくがんばらないようにすることも長い人生をうまく生きていくうえで、同じくらい重要かもしれないと思っています。
特に仕事においては、朝早くから夜遅くまでがんばっている方も多いのではないでしょうか。私もそうでしたし、今でもそういう日は当然あります。しかし、同じ成果を出せるなら、なるべく頑張らないでやった方がいいと強く思います。
データの入力・集計・分析とか、単調な事務作業とか、テクノロジーが発達した昨今、自動化できる部分も多分にあります。テクノロジーが発達するほどに、人は忙しく働くようになっている気もしますが、テクノロジーが発達した分休みが増えたっていいはずです。
仕事はなるべく楽にできるようにする。無駄に苦しまない。本当に生産的なことだけをやる。いちいち自分に言い聞かせないと、つい忙しくしてしまいますが、けっこう重要だと思います。
今世をできるだけ楽しむ3つの方法
さて、なるべく楽に生きる自分なりのテクニックをお伝えしましたが、ここからはなるべく楽しく生きるために意識していることをお伝えします。
自分と対話する時間を持つ
自分と対話する時間を持つということは非常に大事だと思っています。我々人間は複数の役割を同時並行でうまくこなして生きています。あるときは誰かの部下として、あるときは誰かの上司として、はたまた誰かの親として、あるいは子として、孫として…
これは本当にすごいことだと思います。
でも、そんないろいろな役割を持っている自分って、本当のところどんな人間なんだろうか?改めて考えてみるとよくわからなくないですか?
周囲の期待や要請に応えることで忙しくなってしまうと、自分が本当にやりたいと思っていること、生きたいと思っている人生を忘れてしまいます。一度忘れると、がんばって思い出そうとしない限り、一生思い出すことができなくなってしまうような気がします。
だからこそ、自分と対話する時間を持つことの重要性を感じています。
『0秒思考』で紹介されているメモ書き、『ずっとやりたかったことをやりなさい』で紹介されているモーニングページ、あるいはブレインダンプやマインドマップなど、やり方は何でもいいから、思考をそのままの形でただアウトプットし続ける時間を持つことです。
思考を紙に大量に書き出すと、頭の中だけで考えているだけでは、思考を前進させているつもりでも、同じような考えをループ再生しているに過ぎなかったことに気が付きます。そして、自分が本当は何がしたいのかもうっすら見えてくるはずです。
向上心と好奇心を大事にする
「人生、ずっと勉強」そう思っています。これは仕事に限った話ではありません。
学生時代、ガソリンスタンドで働いているときの話。ちょうどセルフサービスのガソリンスタンドが増えているタイミングで、始めたときはフルサービスだった勤務先もセルフサービスに変わりました。
その時に、年齢に関わらず自分で操作ができない(というか覚えるつもりがない)お客さんがたくさんいました。もちろん、対応するのですが「新しいことはやらない」という選択を当たり前のものにしてしまうと人生は終わりなんじゃないかとも感じました。
最近はWeb3.0 の到来だを騒ぎ立てられたブロックチェーン関連の産業が若干下火になり、その変わり生成AIが台頭しています。技術の進化は本当に目まぐるしいものです。ガソリンスタンドがセルフになるどころの変化ではありません。
人生を楽しむためには、自分でできることを増やす、新しいものを取り入れるみたいな柔軟性もけっこう大事なんじゃないかと思います。
友人や家族と過ごす時間を増やす
人間関係、大事にしていますか?正直言って、私は大事にできていない時期がありました。
故郷を離れて仕事に打ち込んでいると、地元の友人や家族が疎ましく感じられるタイミングがあるかもしれません。でも、そんなときは自分の人生にとって本当に大事なものは何なのかを改めてゆっくり考えた方がいいかもしれません。
どんな状況になっても必ず味方でいてくれるであろう家族や、利害関係などまったく考えていなかったときに時間を共にした友人は人生においてかけがえのないものです。
必ずしも家族に恵まれている方ばかりではないことは存じ上げておりますが、少しでも家族や友人を大事に思っている方は、ちゃんと大事にしておいた方がいいと思います。
「家族を大事にする」とか「友人を大事にする」ということの具体的な行動は、会って話をすることです。少し疎遠になってしまっている大事な人とは、対話・会話の頻度を増やしてみてはどうでしょうか。私は30歳を過ぎて地元に帰ってきたときに、中学時代の友人との交流が回復しました。
今でも、釣りやバスケなど、いろいろ一緒にやっておりまして、中学時代の人間関係が非常に心地よいです。
一回きりの人生をどう生きる?
2023年の10月、仕事や人生にちょっと疲れたタイミングで、伊豆大島に一人旅にいくことにしました。釣りをして、釣った魚を捌いて、ご飯を作って食べる。それだけで、1日はほとんど過ぎていきます。生きるって、こんなことでいいのかもしれないな〜ときれいな海を眺めながら思いました。
その旅行に一冊のノートを持って行って「人生をどうしたいか?」を自分に問いながら思考を書きなぐってみました。そのときに、どうやら私は自分が生きたこの人生を記録したいという欲求を持っているらしいということがわかりました。これは、自分にとっても意外な発見でした。
ただ、前述の通り、私は1つのことをやり続けることができません。SEOでは専門性の高いメディアを継続して続けることが必要ですが、それだと飽きてしまう。飽きないように、雑記ブログとして色々なテーマを扱うブログでも始めよう。そんなわけで、SEO対策は度外視してこのブログを始めたというわけです。
どうかこれからも、私が記事を更新し続けていけるように願っていてください。私もそう願っています。
2023年11月20日 ちゃんぬー